和服の下着と言えば「襦袢」と言われますな
語源は南蛮貿易にて齎された「ジバン」と言われる服の名前なんですが、型式や形状は伝承されず名前だけになりました
詳しくはこちらの「プールポワン」で
で、そんな日本服飾の下着なんですが「ヨツデ」と言われる物があったそうです
何でも江戸末期頃から見られる物で非常に簡単な構造の下着です
手拭いを2枚重ねただけの形状という極端なシンプル
襦袢代わりに使うそうです
民俗学に於ける服学を称した宮本勢助は「十字型服被服」という分類を設けていたそうなんですが、これが該当するかは不明
そもそも手拭い等のただの布を下着として使う習慣があったようで、用途としては汗除けとして使われたそうですが、女性の場合ブラジャーの役割としても用いられたそうです
この四ツ手はその改良品として作られたのかもしれません
しかしこの形、具足の満智羅に少し形状が似てる様な気がします
なにか関係でもあるんですかね?
そういえば江戸末期は動乱期ですし、実物を見る機会があってもおかしくありませんな
そこでインスピレーション受けたとか?
因みに最初期だと文政年間には見られるそうですが、あまり長続きしなかったみたいです
ここから察するに日本の文化って「流行」であって、「伝統」ではないんじゃないか?と言う一考も出来ます
無論どこの国にでも流行はありましょうが日本の場合、江戸初期から末期にかけての265年間で大きな変化が少ないと言う感じがするんです
他国の影響を受け難い事もありましょうが、「新しい変化」以前に「利便性」を優先したモノすら廃れてる
奢侈禁止令や陽明学等の言論統制も相まって、流行っては廃れ、流行っては廃れ・・・を繰り返したのではないか? と
例
合羽流行る→庶民禁止
ボタン流行る→禁止
塗下駄流行る→禁止
いか流行る→禁止→たこ流行る→禁止→いたちごっこ・・・
無限ループって怖くね?
朱子学という土台だけ伝統し、土台以外は流行り廃れ・・・
この四ツ手もその一つなんですかね?
江戸では見られたらしいんですが、江戸以外の話は聞きません
地方に伝来したら残ったかもしれませんが、地方で新しい文化が容認されるのは「利便性」が条件だったんですかね
労働着→汗取りや下着は要らないから「便利」に該当しない
正装や儀式装→伝統保守的
こうなると新規参入出来ても形骸化して残るだけで、元来の意義等は伝わらずに惰性で伝存するのも頷けますな
事実、発音だけで意味が伝統されてない言葉や方言もあります
食べるラー油も二十年後くらいには「平成ってどうやって油食ってたんだ?」とか言われそうです
・・・・・・え?食べるラー油知らない?
参考文献
服飾民俗圖説 本山桂川著