モンペの語源は股引! 実は歴史は深くないんです 大陸からきた起源があるけど・・・?

もんぺと言えばww2の日本に於いて「婦人服」と呼ばれた物が思いつく人も多いでしょう

今の世代だと知らない人も多いでしょうけど

 

そしてそんな「もんぺ」について記していきます

 

 

 

モンペとは

 

ja.wikipedia.org

 

モンペと言うと第二次世界大戦で婦人服として有名になり、ソレ以外のモンペはあまり知られていませんな

これは大戦中時代、動き難い長着の裾を解決する為にピッタリな形状をしていたので、婦人団体がモンペと言い出して広めたのが原因です

 

このダボダボは、中に長着の裾を入れる為にスペースが取る為の構造です

現に膝から下を窄めていた脚絆の様な型式から、裾口部分のみ窄める型式になってます

 

マイナスイメージが強いものですが、昨今ではこの形状のワイドパンツがちらほらと見られるようになってきました

 

次は本来のモンペについて

 

モンペの語源と歴史

 

モンペって言葉なんですが、山袴の記事

 

kokemusigawa.hatenablog.com

でちょっと触れた通り「股引」が訛った言葉です

 

股引の呼称を集めてみたら

 

モモヒキ

モモシキ

モーヒキ

モオヒイ

モンヒキ

モンピキ

モンビキ

モンピイ

モンピ

モンペイ

モンペ

モッピキ

モッペ

 

と、そこら中で訛ってるのが確認されてます

 

さらに「倭訓栞」には

 

「ももひき「中略」房州にてはもっぴいと常にいへり」

 

とあり、また 江戸時代の口語資料として重要視される「増補俚言集覧」には

 

「もんぺ、出羽にて、モモ引ヲイフ」

 

と書いてあったり、語源がモモヒキなのは明らかなのです

 

門平という人が作ったとか云われてますが、バッサリ「俗説でしかない」と切り捨てられております

 

倭訓栞後編 (1969年)

倭訓栞後編 (1969年)

  • メディア:
 

 

 

 

 

www.rakuten.ne.jp

穿き方見れば解りますが、足を開くと股が露出します

トイレ用にこんな形状になっている服は世界中で見られます

 

古い服飾物にはよく見受けられる型式です

これは江戸時代の座敷袴にも見られるモノで、胡座をかくと褌が見えました

 

本山桂川著「服飾民俗圖説」には

 

『嬉遊笑覽』には、

「元禄頃までも股引はなく皆カルサンを用ひたり」

といひ

「すべてせわしき働きする者は皆はきたるものなりしが、今は廢れて髮結など 得意の方に乞ひてカルサン作る料に集む。

これをカルサン無盡といひ習へり。

今は名のみにて尋常のもも引を拵へてはくなり」

云々といってゐる。

 

と書かれています

 

要約すると

「江戸期の元禄時代には股引はなく、カルサンを穿いていた。」

「労働者は皆カルサンを穿いていたが今は廃れて、髪結さんとか得意な人に頼んで作ってもらっている。これをカルサン無尽と言う風習になっている。」

「今はカルサンの名前だけ使って、普通の股引をカルサン呼ばわりして作ってもらったり穿いている」

と言った感じ

 

 

これが本来のモンペ(モモヒキ)です

モンペとはモモヒキの訛りや方言であって、標準語ではないんですな

 

婦人団体のそんな誤解から似てる形状の服を「モンペ」と言う様になったんです

脇明のある袴の形式から前をボタンとジッパーで留めてベルトで留めるズボン形式の物まで・・・

形が似てたら全部ひっくるめてモンペと読んでいた事が伺えます

 

それは同書にも

 

その『郷土水澤』に雪袴とあるのがおそらくモッコ袴のことであらうといふ。

即ち同書には

「モッペ(モンペ) 輸入以來在來あった名の、雪の國にふさ はしい雪袴といふ名を捨て、別モッペなどといふものもあるが、却って雪袴 という方が、どんなに郷土的感じが深いか知れない」

とも記述されてゐる。

 

と記述されている通り、郷土感溢れる名前を捨てて適当にモンペ呼ばわりする様になった事が伺えます

 

長野県南木曽町ナニコレ珍百景で有名になった

「ネコ」

という防寒着が今や

「ネコ半纏」

という名称で売られてますが、それと同じです

 

地元では「南木曽ネコ」で商標登録して居る様ですが、他のメーカーが勝手に半纏と名付けていますね

こういう風に後先考えないで無計画に名称変えると、郷土感やブランディングが壊れるので皆さんも気を付けましょう

 

これは日本の都市景観等にも言える事ですね

東京も無計画に作られた密集住宅街の解体が進まないんだとか・・・

スプロール抑制は大事ですね

ja.wikipedia.org

 

因みにネコは青森県滋賀県滋賀郡小松村でも見られる服飾品で、名前も同じくネコです。

 

 

 

モンペ(股引)の起源

さらに起源まで踏み込んでいきますヨ!

 

同書に於いては

 

しかし、カルサン輸入の後に、股引が出來たものとは考へられない。

既に 「江戶股引」といふものがあつて、これは明らかに朝鮮系統のパチであり、バッ チの名もそこから傳來してゐるに違ひないと思はれる。

 『倭訓栞』には「袴?の類にいふ。朝鮮語なりといへり。或は裩袴を譯す」

と見え、またこのことについて、『甲子夜話續篇』には次の記載がある。

今俗間士商共に着するパッチといへるももひきに似たる一種あり。

其名何かなる故を知らず。

或日林子の語るは、我が方に對州の士來れるものあり。

官事の次で彼邦の談に及ぶ。

然るに鮮人の着するももひきの如きものをパッチと謂ふ

彼國の名なりと。

さればパッチはもと鮮國の服にして、彼國の名且彼より傳はれるなり。

人皆その由を知らず。

――と。關西では今でもパッチといふ。

長崎には別に「唐人パッチ」といふも のも傳來されてゐて、關西でいうところのパッチとは又別樣の支那系股引の名としてゐる。

これは支那服の輝子に似た下ばきである。

けれども、朝鮮のパチ支那の輝子には紐を用ひないが、股引となると腰紐が用ひられる

 

股引の起源が中国や朝鮮と言った大陸方面にある事が伺える話ですね

しかし最後の一文の

「日本の股引だけ腰紐を使う」

と言うのが引っかかります

 

詰まる所ガラパゴスな進化をした訳ですが、何故でしょうね?

大陸ではどうやって留めていたのか気になりますが、留め具を使っていたんでしょうか?

仮に留め具だったとして、日本で使われなかったのは何故なのか?

やはり文明や技術の違いなのか、紐が使われたんですねぇ・・・

 

日本の留め具「鞐」についてはこちらを

kokemusigawa.hatenablog.com

 

因みに「パッチ」っていう名前は山袴の類にも使われる事が多いです

前述した様に何でも適当に呼んでいたんですね

 

大阪では今もパチと言う語が使われています

元は江戸の物なのでしょうが、大阪で異国語と共にすっかり馴染んだんですね 

 

続けて同書には

 

『服裝習俗語彙』によると、モンペについては次のやうな解說がなされてゐる。

即ち、この語は今日最もよく知られ、殆ど標準語化しかかってさへ居るが、存外に新らしく生れたか又は変化して出來た語であることは、その用途にまだ餘裕があつて、純然たる仕事着といふことが出来ず、從つて是を実際の労作に便ならしめる為に、相次いで種々の改良が加へられて居るのを見てもわかる。

言葉の起りは多分モモヒキと一つで、寧ろそれから更に分岐したものか と思はれる。

東北地方のうちでも、福島縣を中心として、漸次に隣地へ浸潤 したらしく、山形はほゞ全部に及んで居るが、新潟は僅かに海沿ひの一地帶 に止まり、遠く飛び飛びに此名を耳にする土地のあるのは、新たな交通の結果のやうである。

普及の原因は労働の多様式化、もしくは屋內生活の發達に 在って、作業と休養との幾つもの段階を通じて、どれにも便宜なものを求めるとなると結局は斯ういふ中間の形が探用せられるので、根本には長着物で居られる人又は時間の増加といふ事實が之を促して居るのである。

モッペと モンペとの二つの領域が入交って居ることも、單なる音韻現象といふ以外に 流布の系統を辿らしめる資料として意味がある。

モッペの方が一段と古い形 に近い。

但しその股引も既に職人の群によって、非常な改造を受けた後だか ら、今では其順序を明かにすることが、さう手軽な仕事では無くなつてゐる

が、袴に獸皮を利用する風は、以前は今よりもずつと盛んで、それが軽快な動作よりも、寧ろ、防寒保溫の方に便であつたことが、モッペの家居用の袴 となった遠い原因であったかとも想像せられるのである。

 

との事

なっげぇ・・・

モッペって訛りの方がモンペより先にあったと推測されていますね

 

同氏は続けて・・・

 

「まだ続けんの!?」

と言わずお付き合いください・・・

 

だが、東北地方だからといって、必ずしも以前からモンペが使用されてゐたとは限らない。

森口多里氏はその鄉里岩手縣水澤においては、以前モンペがなく在來のモッコやサル ぺと後のモンペとは別物であることを報じてゐる。

即ち同氏は水澤小學校で編纂した昭和十三年四月發行の『郷土水澤』第一輯を引用して、同地方のモンペは、その年から數へて

「十二――三年前、山形方面から入って来たもので、當時町內の婦女子には適當な働き着といふものがなかっ たので注目されてゐたが、着用してみると、いかにも働くに便利で、身體の保護もよく冬は溫いので、こゝ數年來急速に着用者が殖え、今後ますます殖える傾向がある」

――と記し、

私共の少年時代に郷里地方で一般にモンぺが用ひられなかったことは、これによって分る。

しかし在方の婦女子、殊に老婆のうちにはモンペに似たものを、裾の長い着物の上にはいてゐたのを、私は憶えてゐる。

これを私共はモッコと呼んでゐた。

大體モンペに似てゐるが、モンペよりも幅が廣くてだぶだぶして居り、マチも下りてゐるので、ゆったりしてゐて、着物の裾の捲れることがモンペの場合よりも少い。

その代りモンぺよりもきりりとしてゐないのは止むを得ない。

モッコ袴といふ呼稱も、その步く形がいかにもモッコモッコした感じを與へるからであらう。

――といってある。

 

お疲れ様です

長文ですからねェ

 

まぁ書いてある通り、東北地方だからって皆モンペ使ってた訳じゃなく、別の穿き物が使用せられていた事が伺えます

 

終わりに

 

モンペの語源や起源を辿りましたが、いかがでしたか?

そんなに歴史が古い服飾品ではないんですよ

 

朝鮮では下着として使われたりして、日本ではステテコに派生して下着扱いされても居ます

だから着物の上からではなく下に穿くんですねぇ

 

参考文献

宮本馨太郎著 「かぶりもの・きもの・はきもの」「民具研究の軌跡」「民具入門」

本山桂川著 「服飾民俗圖説」