【足袋とは】足袋に股があるのは打掛だから! 語源・起源などの歴史、種類や型式を解説 打掛・甲掛・タツについて【襪じゃない】

コケムシです

 

前に足袋沓について色々書いた事がありましたね

 

kokemusigawa.hatenablog.com

そこで今回は、足袋そのものについて掘り下げた事書こうかなと

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

足袋の存在意義

 

観れば解る通り足袋っていうのは、他国の文化と比べれば異質さが目立ちます

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草履を履く為に親指とソレ以外を分けて作られた「Socks」に位置する服飾ですが、他の国では滅多にない形状ですな

 

外人から言わせれば

「靴下履かなきゃいけない程寒いなら、なんで草履以外の靴履かないの?草履を履くほど暑いなら靴下履かなきゃいいのに、なんでワザワザ草履用に靴下作るの?意味が解らん」

って事でしょう

 

日本では身分差で服装に制限が設けられていた事から、正装として位置付けられた靴を履けるのは特権階級のみの権利でしたからね

 

いい例が「重ね草履」というものです

昔、重ね草履といって、文字通り幾重にも重ねた草履が女性の間で流行りました

使っていたのは御殿女中や遊女だったそうですが、裏に革を貼ったり鼻緒に天鵞絨・絹・縮緬等を使って遊んでいたのがきっかけで寛延三年に禁止が言い渡されます

 

高々、草履程度ですらこの扱いですぞ

とんでもなく強い規制ですね

 

まぁ「塗下駄」なんかは禁止しても言う事聞く人いなかった様で、好き放題されてました

 

「綱貫・貫」と言われた沓なんかは室町時代に随兵の儀礼用に制定されていましたが、江戸時代には大阪で丁稚が履いてたと言われます

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色々書きましたが、要は「禁止されていたから靴を履きたくても履けなかった」が答えです

草履型式の履物しか履く事を許されなかった為、寒かったら草履用のSocksを履くしかなかったんですな

 

 

 

 

語源について

足袋ってどうみても「あしぶくろ」じゃん?

「たび」って読めねぇじゃん?

 

こういう当て字考える奴なんなの?

日本人なの?

ツッパリソウルでも理解できないレベルの当て字だが夜露死苦ゥッ!!!

ってか?

 

真面目に話しますと語源は「単皮」です

「たんび」とも読まれていたのかもしれません

足袋を方言では

 

タンビ

タンビ-

タンベ

 

と読む地方が確認されている事から、古い呼称の一部だったやもしれませんね

 

ただ誤解が多いのが「足袋そのもの」の起源とは関係なく、「語源」でしかないと言う事

 

単皮って靴に相当する履物なんですよ

 

しかも単皮には足袋の象徴とも言える、あの草履専用の股は無いんです

 

その為、足袋という言葉において単皮は語源として論われますが、足袋そのものの起源としては別個であるという説があります

 

 

 

 

 

足袋の起源

そんな足袋の起源なんですが

 

●打掛

 

●甲掛

 

●甲掛足袋

 

●草鞋掛

 

と言われる足専用の服飾物が起源と考えられます

kotobank.jp

これらの服飾は足袋の底がない構造なんです

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コレが

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こんな感じに装着します

草鞋などを履く際に「紐擦れ」を防ぐために装備する服飾物です

 

こういった構造を持っていた

 

打掛(うちかけ)

甲掛(こうがけ)

 

から

 

甲掛足袋(こうがけたび)

草鞋掛(わらじがけ)

 

という変化を辿って、底部が縫い付けられるようになりました

それこそが足袋です

 

 

 

 

 

 

 

足袋の型式について

 

足袋は大きく分けて4類に分けられます

 

●紐足袋

 

●ボタン足袋

 

●コハゼ足袋

 

地下足袋

 

という4つです

それぞれ解説していきます

 

 

紐足袋

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言うまでも無く、足袋において原始的な型式です

 

まず初期の足袋では今と違って前の方に切れ目が入れてあり、そこについてある紐を足首に巻いて結んで固定するものだったようです

その為、若干「筒部」が長いのが特徴

 

紐型式は革足袋・布足袋問わず使われたもので、古制の足袋はいずれも紐が当然だったんですな

 

しかし、時代が下るにつれて紐が短くなっていったとされています

なんなら筒部も一緒に短くなります

幕末頃には片紐の足袋も見られる様になります

簡略化好きだね

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この片紐の足袋は、足袋後部の縫い目に結びつけたり側面の紐穴に通して結ぶ型式です

 

紐足袋は農村部とかで昭和頃でも老婆の手縫いで姿を確認する事が出来たそうですが、今となっては最早見る影もないとか

 

 

 

 

ボタン足袋

 

読んで字の如く、ボタンが使用された足袋です

 

「我衣」には正徳年間から現れたと言われていますが

 

皆大好き「好色一代男」!

 

 

これには

「足踏は白綸子に紅を付、ぼたん懸けにして」

とあります

 

正徳以前の書物であることから、もう存在していたようです

 

このボタン足袋なんですが、ボタンを懸ける所が「ボタンホール」ではなく紐で作った「乳」と言われる装置なんです

(布に穴が開いてるのがボタンホールで、ヒモわっかを縫い付けてるのが乳です)

 

これは甲冑における鞐(コハゼ)にも見られる型式で、日本の伝統的な留め具の型式を色濃く遺した物です

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(これは儀等の鼻紙袋の鞐と乳です)

 

このボタン足袋は現存した資料がありません

その為

「どのようなボタン」

「ボタンの大きさの程度」

「どうやって装着するのか」

「どうやって製造するのか」

「抑々本当にソレは「ボタン」だったのか」

等の謎があります

 

最後の「抑々本当にソレは「ボタン」だったのか」と言うのはとある事情があります

実は江戸時代に於ける「合羽」に於いて「牡丹掛け」という留め具があります

この牡丹掛け、名前が「ボタン」でありながら「鞐」の形式なのです

 

「鞐」については別記事で紹介してますのでどうぞ

kokemusigawa.hatenablog.com

 

詰まる所、江戸時代の人々は「鞐」と「ボタン」を区別していなかったのです

その影響で足袋に使われていた「鞐」を「ボタン」と呼称していたのではないか、と儀等は踏んでいます

 

しかしボタン足袋は時と共に、切れ目が前後に分かれた2種類があるんですね

 

初期の頃は前部に切れ目とボタンがありますが、後期にはコハゼ型式と同じく後に切れ目があり、ボタンも乳も後に移動しました

 

このボタン足袋の型式が、後のコハゼ足袋の基盤となるのです

 

裏を返せば紐足袋→ボタン足袋→コハゼ足袋の変態に於ける「ミッシングリンク」でもあるのです

 

 

 

コハゼ足袋

 

言うまでもなく、現代でも製造されてるタイプの足袋です

後ろの方に爪をいくつか縫い付けて着脱します

外れ易いし砂は入るしあんま好きじゃないですね、儀等は

 

昔はコハゼを縫い付ける部分として、別の布地が付けられていたんですがコレを「タツ」と言います

 

言葉で説明するのは難しいですが、「甲」と言われている布では小鉤を縫い付けても紐に届かないんですな

そこであらかじめ小鉤を縫い付けた布を、足袋の後ろに縫い付けたんです

コレが「タツ」と呼ばれました

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儀等画

 

図で説明するとこんな感じです

 

タツは徐々に無くなりました

理由としては単純に甲の部分と一体化していったのです

今となっては非常に珍しい構造となっています

 

まぁ実際に縫ってみたりしたら腑に落ちますけど

 

面倒臭いんですよ

 

ワザワザ「小鉤用の布を切って、小鉤縫い付けて、それを足袋に縫い付ける」

そりゃ誰もが「甲の部分伸ばせばいいだろ」と言う結論に至りましょうや

 

という訳で消えたんですよ、タツ

多分

 

と言うのも消えた明確な理由は解りません

足袋の歴史の中においては「民間で作られる足袋にのみ存在する機構」だった様なので何処の誰が何時構造を変えたか等、知る由もありません

 

しかし似た物が作られています

 

ハセプラスという名前ですが、ちょっとタツに似てますね

 

地下足袋

まぁ皆知ってるよね

土木作業中でも履いてる人をよく見かけます

 

 

 

本来の足袋よりこっちの方が見る機会多いですよね、今は

 

本来、「Socks」に相当する服飾物でありながら直接地面を踏む服飾物へと変わると言う、極めて珍しい変換を辿りました

 

これは足袋が普及した江戸期に始まりがあると言います

 

足袋沓という、革製の爪先が分かれた「足袋型の靴」が作られる様になりました

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ですが革足袋から布足袋への推移と共に「布の足袋の方がよくね?」という風潮が出てきて、布足袋で直接地面を踏む様になったと言われています

 

屋外において草履等の履物が必須であるはずの足袋

それを直接地面に触れさせて歩くのは当時の目から見ても異質で、人々はそのファッションスタイルを

「タビハダシ」

と言いました

 

そしてタビハダシスタイル専用に作られた直接地面歩行用の足袋を

「ハダシタビ」

と呼んだそうです

 

こういった「跣足袋」や「足袋跣」といった言葉から推測できる様に、本来の足袋が直接地面歩行の履物と考えられていなかった事は明白でしょう

 

んで勿論、靴底ならぬ足袋底の強化が図られたんですな

まず最初に出てきたのが

 

●刺底

●石底(本物の石ではなく石柄の布)

 

が開発されたんです

 

刺底の跣足袋は鷹匠が身につけて各地を歩き回った事から

鷹匠足袋」

と呼ばれたりしたとか

 

しかしこれらは廃れる事になります

 

 

ゴム底の出現によって

 

 

このゴム底が出現した事から、一気に跣足袋は地下足袋へと変換を余儀なくされていきます

まぁ当たり前だね

 

旧来の草鞋・皮沓類の一切を駆逐して、労働用履物の首位を掴みました

 

まとめると

 

足袋沓出現!革製で丈夫な為、市中検察の役人や駕籠かきの兄ちゃんが使用した

 

布製の足袋の普及と同時にタビハダシスタイルが流行!足袋沓に取って代わり、跣足袋が製造される様になる

 

ゴム底出現!!跣足袋を駆逐し、足袋の王者として地下足袋が君臨する!洋靴と同じく厚革を重ねた足袋沓の底は忘れられており、製造費も高く付く為に完全に消え失せる

 

日本文化がアメリカ等でウケる!!時代劇で忍者役が地下足袋を履いていた為「ninja shoes」「ninja tabi」等の名称で微妙に注目を浴びる

 

と言った感じです

 

④余計か・・・?

 

 

 

 

 

最期に

 

 

今や誰も履かんですよね、足袋

地下足袋として知られている昨今では

足袋=地下足袋

と思う人や、土木作業を連想するのが当然になりそうです

 

ですが足袋というのは日本文化において、身分による制限が課せられる程品格が高い服飾品として認識される程になり、時代劇によって世界中に自然と浸透する程にもなった服飾です

東の最果ての島国特有の文化がココまで成り上がったのを「土方の兄ちゃんの履物」としか認識しないのは実にもったいない!

 

もっと広い視野で見て欲しい物です

 

それに川の藻や苔にはビニール草鞋がイチバン!!

靴の上から履く事が出来ないなら防水足袋沓の上から履けばいい!!

genryudaigaku.com

 

参考文献

かぶりもの・きもの・はきもの」宮本馨太郎先生

「民具入門」宮本馨太郎先生

「民間服飾誌 履物篇」宮本勢助先生