喪服に関するメモメモ 狂っていく日本の喪服

コケムシです。

 

今日はちょっとこのブログをメモに使います

と言ってもザラザラ書き込むだけなので、読者向けじゃないですね

テーマがちょっと複雑な物で、まとめるのが非常に難儀なのです

 

「喪服」

つまり葬送の衣服です

 

皆さんもある程度は御存知でしょうが、日本の葬送儀式は面倒臭い事になってます

宗教云々だけではなく文化流入による影響してます

 

儀等も経験した事がありますが、喪服の決まり事を式場スタッフに聞くと

「スーツのボタンは一番下まで留める事に成っております」

と返ってきて唖然としました

 

スーツの一番下のボタンは基本的に留める事は無く、ボタンホールすら空けてないモノもある程です

本場イギリスではそんな原則があると云いますが、日本は表面的な西洋化だけ重視して本来のマナーをガン無視してます

 

 

ほら

あの

 

 

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コレだ

 

柳田先生が「日本人とはなんぞや」って考えて民俗学始めたと言われてますが、儀等はこの極めて礼儀正しい無礼者が日本人だと思いますね

 

だからこういう場末であろうと書き込んでおかないと消えていきますからね

このメモは日本人のメモなのです!!

 

まぁぶっちゃけそんな大層なモノじゃないんですけどね

 

 

 

 

 

 

素服と言われてた喪服

中国・朝鮮においては凶服と呼ばれますが、日本では「素服」と書き、「日本書紀」では「あさのみそ」と訓んでいました

 

しかし「和名類聚抄」では喪服の事を、古くから「不知古路毛」と書き「ふぢごろも」と訓んでいた事が書かれています

 

この名称は本来喪服が「藤」「葛」で作られていたからと言われています

 

また喪服を俗には「イロ」と呼称していた事もあります

これは「鈍色」の略と言われてますが、喪服が素や白地だった事に対してそのまま「シロ」と呼ぶのを忌み、反対の「色」の語が使われたとも考えられてます

 

素服という言葉は「日本書紀」仁徳紀からあり天智紀には「皇太子素服称制」などの記述もみられますがそんな複雑な事は書きませんなにせここでは天皇や貴族等と言った身分の高い人々の服飾について語る気はないので知りたい人はもっと確かな記述と詳しいサイトを見て独学して下さい

 

 

 

 

 

都市部の白かった喪服 地方の古式の喪服

明治時代の喪服は西洋化した経緯から「洋装」「和装」と分けられました

そこで男子は「黒紋服に袴」、女子は「白無垢と白の帯」としてました

 

ですが昭和に入って女子も「黒紋服と黒の帯」が使われる様になりました

しかも略式では「黒の帯」のみを用いて喪服としていたりしてました

 

これね

都市部で行われてた習慣なんですよ

 

地方ではまた別の習俗がありました

古風を遺したモノではありましたが、郷によって違いがあるので一概に言えないのが実情です

 

まぁ土地信仰の関わりなんか考えれば妥当さね

 

喪服の事を

 

イロ

イロギ

シロギン

カタギヌ

ウレイギモノ

 

呼んでおり、着られていた服飾品は麻・木綿の素地か白地の布で

 

千早

肩衣

小袖

 

等を着用したり、

 

イロギ

 

と言って白木綿一反を肩から腰に巻いたり

 

イロ

シロ

モンカクシ

 

と言って白布を肩にかけたり、長く四つに折って襟にかけたりしてました

 

これも一種の喪服と言えなくもないです

 

しかし四十九日の本忌の期間中に外出する時は

テントウオソレ

と言う「白木綿の布」で頭部を包む風習が必ずと言って良い程ありました

 

似た習わしとして葬送に忌がかりの男達が

 

カンムリ

カミエボシ

シホウ

カミカクシ

ミカクシ

ユミ

マンジノヌノ

 

等と言われる習慣から

 

三角形の布や紙を額につける

 

白布で鉢巻をする

 

キチュウガサと言う藺の編笠を被る

 

といった習俗も見られます

 

また女達が葬列に加わる際には様々な習慣がありました

 

特殊な形の髷を結う習慣では

 

イロガミ

ウレイガミ

キチウシマダ

キチウマゲ

 

と呼ばれる物がありました

 

また、麻の帷衣・白薄絹の被衣(カツギ)・白無垢の小袖をもって頭から全身を覆って

 

カツギ

イロカツギ

イノカブリ

カツギカタビラ

 

と呼ばれていたり

それらの左袖を頭に被る事を

 

ソデカブリ

 

と呼んだりしていました

 

他にも

 

ワタボウシ

カブリ

イロ

 

等と言って白の綿帽子や袖型の布や手拭い等を被って参列しました

 

 

 

 

抑々喪服とは

喪の観念の変還は時代により代わりまくって、今となっては混乱を極めてます

冒頭に書いた様に、専門業者すら間違った知識で務めている人も多いですな

 

古くは死のケガレをもつ人々は素・白の喪服をまとって忌ごもりをしたので、除服も河原に出て行うのを常としました

 

しかし平安時代以降は華美な服飾から代わって、死者を悼み悲しむ為に黒・薄墨色をまとい愛惜の情を表す物となったのです

 

現代の黒紋服の喪服に古代人の思想など偲ぶ由もありませんが、地方の喪服にはまだ遺っていると言えますね