コケムシの巣

コケムシです。雑記ブログですが、民俗学をかじったのでソレも書きます。

武術の型の意味 ぶっちゃけ寺に行くと解る (野狐禅厳禁!!)

コケムシです.

 

皆さん武道や武術ってやった事あります?

 

儀等は結構打ち込んでます。

今はキーボードに打ち込んでますが。

 

その中でやはり「型」にぶち当たった人も多いだろうね。

 

やってる意味が解らないまま、ただただ体を動かす。

まるでブラック企業でやらなくてもいい業務を押し付けられてる様な物。

何の為にするのか理由も解らない。

 

そして間違えた道に足を踏み入れる者も居る。

 

そんな事がないようにね、今日は具体的な型の意義について書いていきます。

 

ただ知見がない人が聞くと「オカルトじゃん」と思われがちなので先に言っておきます。

生理現象としての側面がありますがオカルトではありません。

 

誤解無き様にね。

 

 

 

 

 

 

 

型の意義とされる事

 

これなんですが色々議論されますね。

 

空手では鍛錬型とか言って、筋トレ的な側面があったり感覚を鍛えるって意味合いの型もあります。

ただ空手って琉球のモノで、日本の一般的な武術とは型の方向性も意味も違うんですよ。

 

本州の方ではあまり鍛錬型って部類はありませんね。

 

かの有名な黒田鉄山先生曰く

「型によって身体の動かし方を変えていく事を、海外の弟子が言うにはリプログラミングだと言うんですね。」

との事。

 

これは儀等も実感してます。

中指と薬指を使って相手の腕を握る「キツネさんの手」という基礎がありますが、コレやってる内に気付いたのは

「背中の筋肉に繋がってる感じがある。」

という物。

 

そしてイザ何か物を持つ時には自然とこの手の形になるようになりました。

 

こうやって本来やっていた身体操法を変えていくのが、リプログラミングと例えられてるようですね。

 

また他の流派でも体の癖を抜くという言葉にある通り、今まで当然のようにやってきた身体の動かし方を変えていくものです。

 

型にはこういう意味があると言われていますが、私見としては未熟のそれです。

 

重要な所に気付いてないと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

侍の修行って滝行するよね

 するじゃん?

 

アレの意味知ってます?

 

アレ、本来はお坊さんがやる物なんですよ。

 

なのに侍がやってる事もある。

時代劇の創作?

いいえ違います。

 

現代で武者修行としてやる人は殆どいませんが、あれには目標があります。

 

ここでちょっと誤解されるかもしれないが聞いてって。

 

滝行の目標は「瞑想」です。

 

 

 

 

待て待て、誤解すんなって。

大文字アピールもそんだけ重要な意味合いがあるからなんだよ!

 

結論から言いましょう。

上述の型に必要な身体の細やかな感覚が手に入る手段です。

 

上級者だと脳が発信する生体電流を感知できるとも言います。

 

また感情の発生を消す事も出来る為、よく修行したお坊さんは死ぬ恐怖心もなく自害します。

 

火渡りの修行では痛覚を消している為、平然と歩く事が出来るのです。

 

 

 

 

イヤ聞いてけって・・・

 

 

 

 

 

 

瞑想とは

 

 

エ~・・・まずぅ・・・瞑想・・・ですねぇ・・・・・

 

中国仏教とかじゃ「禅」という名称で呼ばれ、朱子学陽明学など論語関連では「静坐」と呼ばれます。

神道で言うなら巫女舞でしょうか。

インドでは「ヨーガ」と言われ、ヨガとして世界中で広まっています。

 

 

この瞑想、結構誤解が多く「ヤバい宗教のイメージが有る」とも言われますが、私見としちゃ生理現象だと思ってます。

 

まず何も知らない方への説明として大前提を話します。

 

 

瞑想という行為は基本的に

 

腹式呼吸でゆっくり鼻から息を吸い、ゆっくり口から吐く

 

この際何も考えないように静かに集中する

 

というこのステップで大方体験できる物です。

 

そうこれだけで経験できるから不本意に偶然体験する人も多いのが怖い所。

 

話を戻しまして

 

ではどんな体験をするのか

まず代表的な体験として

 

なぜか感謝の感情が出てきて、この世の全てに感謝する心持ちになる

 

神秘的な包容の中にいる感じがする

 

自分を後ろから見ている

 

性的な快楽ではない非常に心地いい感覚があり、瞑想を終えるとグッスリ眠った後の様に気分が優れている

 

自分の体の中の感覚がクリアになり、どの筋肉をどう動かせば剣が重くなるか解る

 

と、枚挙に暇がない感じ。

 

特に最後の部分は、武術の型に深く関係する所です。

 

 

ここで注意点!

 

上述した体験以外にも危険な体験があります。

これによって自分を誤解する未熟者がよく現れます。

 

その体験とは

 

神々しい存在が目の前に現れ、合体する

 

これが一番危険だ!

具体的には

現れるのは自身にとって敬うもの、尊いものが現れます。

そして合体すると自分が選ばれし存在だ、とか特別な人間なんだ、とか思い込むようになるとか。

 

そしてこの敬うものとは、

 

仏教徒なら仏様を思い浮かべ

キリスト教徒なら主を思い浮かべ

神道教徒なら思い浮かべる神を思い浮かべます。

 

尊いものならば

 

先に死んだ父や母

先立たれた伴侶や子

自身の尊敬する英雄

 

等、人によって大きく違います。

 

これがまやかしである事を理解した、偉いお坊さんが対処法を書いています。

 

臨済義玄

中国の古い僧侶です。

道流、爾欲得如法見解、但莫受人惑。向裏向外、逢著便殺。逢佛殺佛、逢祖殺祖、逢羅漢殺羅漢、逢父母殺父母、逢親眷殺親眷、始得解脱、不與物拘、透脱自在。

 

ここには

「仏に逢うては仏を殺せ。先祖に逢うては先祖を殺せ。父に逢うては父を殺せ。母に逢うては母を殺せ。」

と書かれております

 

そう

瞑想中にこの経験をしたら、槍を持って殺せ

という言葉として有名です。

間違っても合体しない様に注意して下さい。

 

また、コレ以外にも注意する点は多く、最悪うつ病などの精神疾患や男性だと勃起不全などを患います。

コーチとも言える様な徳の高い僧や、瞑想研究家の方に指導してもらいながら修行するのが一番安全です。

 

 

 

 

 

 

瞑想をしていた武術家

 

ここまでの説明で、瞑想が武術に与える影響を察する事は出来たと思います。

 

そして型の最中にトランス状態になったりします。

 

そりゃ武の神が降りてきた感あるよね。

 

次に紹介するのは瞑想をしていた武術家の先達です。

 

 

塚原卜伝

 

御存知鹿島新当流の開祖として有名な剣聖です。

常陸国、鹿島にて生まれ鹿島の宮での参籠にて「奥義 一之太刀」を得たと言われます。

city.kashima.ibaraki.jp

この一之太刀と言う所が瞑想によって得たモノでは無いか、というのが私見です。

理由は後述します。

 

 

植芝盛平

 

「植芝流合気柔術の開祖です。

エピソードに事欠かない武術家No.1と思ってます。

 

その内一つが井戸端で行水していたら

 

突如大地が鳴動し黄金の光に全身が包まれ宇宙と一体化する

 

という体験です。

これなんですが、上に書いた「偉大な物との合体」と同じ物です。

 

合体を経験した人の話だと「地面が大きく揺れる」というのはよく聞きます。

 

 

 

 

 

 

愛洲久忠

 あの柳生新陰流の源流である「新陰流」の源流である「陰流」の開祖です。

 

この方も

 

鵜戸の岩屋で参籠して霊験により開眼、陰流を開く。

 

とある様に瞑想の影響が伺えます。

 

 

ジャンヌ・ダルク

 

武術家という訳ではないですが、戦士ではあります。

 

この方は瞑想をガッツリ失敗した人でしょう。

 

というのも彼女の史実を、当時の裁判記録などから細かく再現した映画ジャンヌ・ダルクリュック・ベッソン監督 ミラ・ジョボヴィッチ主演)では

 

神と合体した彼女が自身を神の使いであると思い上がり、フランスを助けるのが神の意志と思い込み行動に出る様

 

等が描かれます。

 

また植芝翁とも共通して天地鳴動の合体を語っており、瞑想の失敗における共通事項である事は明白ですな。

 

フランスの識字率は非常に低く庶民は聖書を読む事が出来ない為、誤解が多かったと言われてますね。

また江戸時代の日本は識字率が85% 一方フランスは同じ時代で2%という話があり、民衆に対する政策であったとか。

 

ですがまだ幼いとも言える年齢の彼女が、戦って国土を取り戻したのは事実であり個人的には一番好きな英雄です。

 

(上記の映画ですが、かなり凄惨です。視聴は自己責任で)

 

その他にも武術家で僧侶という身の上であった人は多く、日本の武術史に大きく関わったのは事実です。

(まぁ上述の通り人間なら誰しも経験しうるので、日本だけという訳じゃない。)

 

 

 

 

 

 

型や身体に与える影響

 

この様に瞑想による影響は武術の根幹に当たる物です。

なぜ侍が滝行をしているかと言えば禅の行法の一種が滝行だからです。

 

滝行が選ばれるのは映像に映えるのがこれだからでしょーね。

 

その他にも色々瞑想のやり方ってあるんですよ。

座禅、歩行禅、ペットボトルに水入れてチャプチャプ耳元で鳴らす奴、読経しながら・・・

様々です。

 

まるで苔の種類の如しですな!

 

体の細やかな感覚が重要視される型稽古。

その感覚が鋭敏になる瞑想は武術家としての重要なステップですぞ。

 

また弓道というのは、弓術と禅を組み合わせた修行法と言った側面があり、ここでも瞑想が切っても切り離せない要素である事が伺えますな。

 

事実、弓道は的に当てる事が目的ではありません。

 

身体の動かし方、則ち身体操法にはもってこいの修行だからこそ、瞑想の専門学校である寺で武術の真理を悟る描写がドラマでも描かれるのです。

 

そして黒田鉄山先生の言われてる「武術的身体」というものが効率的に組み立てられるのです。

 

 

 

 

 

一之太刀について

 

武術をやってない方でも一之太刀をゲーム中なんかに聞いた事がある人は多いかと。

最近だと両儀式の肉体人格の方が使ってますね。

空の境界もオススメですぞ。

矛盾螺旋じゃきのこが、かなり詳しい武術観を持ってる事が伺えます。

まぁ仏教に詳しいなら辿り着くのは早かったでしょうね。

 

さてこの一之太刀。

 

合気じゃね?

 

イヤ、植芝翁が語った話でも

「合気とは宇宙との和合なり」

って話があるんですよ。

 

そしてドラマ塚原卜伝」(主演:堺雅人でも描かれる描写なのですが、相手の調子に合わせて剣を振るうのです。

 

この「相手と自分、引いては万物が自分と一体化したような感覚」も瞑想の効果として語られるモノです。

 

これが合気であり一之太刀と踏んでます。

 

具体的には説明できん・・・

こればっかりは瞑想趣味の方がよく言う

「瞑想は経験だから上手く語れない」

なんじゃね?

 

ただ儀等としては

「踵の技、脚の技、腰の技、背骨の技、背筋の技、肩の技、肘の技、手首の技、眼球の技、肺の技、地面の硬さ、相手の構え、呼吸・・・」

と言った様な、持ち得る全ての技術を一振りに凝縮する事を、一之太刀と言うのかな?

程度に考えてます。

 

 

 

 

 

終わりに

 

武術をやっていて型稽古は意味がわからないと、壁にぶち当たる人は多いでしょう。

 

事実、型稽古をやっていても強くはなれません。

 

地稽古という実戦形式の稽古があります。

 

勝つ事を目的とする稽古ではなく「型によって得た感覚や技を実戦形式でどの様に使うか」を試す稽古です。

 

これだけしていれば実戦で戦っても勝てるようになる為、江戸時代の武術家の間じゃしばしば議論されたようです。

 

しかし地稽古だけだと肝心の技術は全く得られないという意見が根強く、技術維持の為に型稽古が根強く残される方針が決定的になります。

(まぁ地稽古なんてしたらじいちゃんが弱い事はバレますからね・・・)

 

儀等も随分悩みましたが、瞑想というモノを具体的に知り、先達たちが寺で修行している事から答えが紐解けました。

 

答えは意外な所にあるもんですね。

 

武術を極めたいなら、禅を組むべきですよ。